2023年11月28日火曜日

 バッハ:ゴルトベルク変奏曲の楽譜(3)


各変奏曲末尾のフェルマータの有無について

                 〜不規則な配置の謎


1 Cory Hallの説について


(1)フェルマータについて


 前回に続き、Cory Hallがフェルマータについて、どう解釈しているかの概略について説明しておこう。以下は全て前回紹介した「Bach's Goldberg Variations demystified」の内容と、この論文に基づいて、2022年にCory Hall校訂のゴルトベルク変奏曲(BachScholar Publishing)の新校訂版が出版され、そのコンセプトの概略がインターネット上で公表されているので、それも含めてまとめたものである。①から⑩まで10項目に整理してある。

 


①1741年の初版、及び1975年修正版によると、バッハは変奏曲をフェルマー

    タか飾り模様(artistic flourish、文末の譜例 参照)のどちらかで区切ってお 

 り、すべての変奏曲の末尾にフェルマータを付加していない。これは非常に

 重要である。

②ほとんどの校訂者および校訂版は、いくつかの変奏曲末尾にフェルマータが

 記載されていないことをバッハの見落としと考え、バッハが指示していない

 ところにすべてフェルマータを追加している。

③バッハのフェルマータを正確に再現しているのはクルト・ソルダンが編集し

 た1937年のペータース版(Kurt Soldan,Peter’s edition )だけである。他の

    すべての編集者は、本来あるべきではないところにフェルマータを書き加え

 ている。ヘンレ版、新バッハ全集はいずれも正しくない。

④ 変奏の間にフェルマータがなく、artistic flourish が記載されている場合は変

  奏の間に連続性があり(グループ化されている)続けて演奏する必要があ 

  る。この場合、それぞれの変奏はテンポで関連性がある。

⑤逆に、フェルマータで区切られた変奏曲は、続けて演奏する必要はなく、必

 ずしも関連したテンポを持たない。


⑥実例を示すと、

 例えば、アリアと第一変奏曲の末尾にはフェルマータがあるので、テンポ 

 の関連はなく、独立して演奏される。

 第2変奏曲から第4変奏曲まではフェルマータがない。次に、フェルマータ

 が付加されている変奏曲は第5変奏曲である。

 つまりこの4つの変奏曲、2〜5変奏曲はグルーピングされていて、続けて演

 奏し、また、それぞれ関連したテンポで演奏しなければならない。


 という要領で変奏曲全体を整理してみると、下記のようになる。


 注)●は単独、あるいはグルーピングを示す。これは筆者が追加したもので

    原文にはない。また表示されているテンポは「Bach's Goldberg  

    Variations demystified」に記載されていたもの。Cory Hall校訂のゴル

    トベルク変奏曲(BachScholar Publishing)の新校訂版は参照してい

    ない。


●Aria.               四分音符=54


●第1変奏曲 四分音符=108


●第2〜5変奏曲(これらは続けて演奏される、以下同)

 第2変奏曲   四分音符=72

 第3変奏曲 付点四分音符=56(八分音符=168)

 第4変奏曲 付点四分音符=56(八分音符=168) 

 第5変奏曲   四分音符=84 


●第6〜8変奏曲

 第6変奏曲 付点四分音符=48 (八分音符=144)

 第7変奏曲 付点四分音符=64 (八分音符=192)

 第8変奏曲    四分音符=96 


●第9〜10変奏曲

 第9変奏曲   四分音符=72

 第10変奏曲      二分音符=72


●第11〜12変奏曲

 第11変奏曲  付点四分音符=96

 第12変奏曲   四分音符=72


●第13変奏曲   四分音符=42


●第14変奏曲   四分音符=84


●第15変奏曲   四分音符=36(八分音符=72)


●第16〜17変奏曲

 第16変奏曲 序曲四分音符=63

    フゲッタ付点四分音符=56

 第17変奏曲    四分音符=84


●第18変奏曲   ニ分音符=96


●第19変奏曲 付点四分音符=48(八分音符=144)


●第20変奏曲   四分音符=84


●第21〜22変奏曲

 第21変奏曲   四分音符=42

 第22変奏曲   ニ分音符=84


●第23〜24変奏曲

 第23変奏曲   四分音符=72

 第24変奏曲 付点四分音符=72


●第25〜26変奏曲

 第25変奏曲   八分音符=63

 第26変奏曲   四分音符=63


●第27〜28変奏曲

 第27変奏曲 付点四分音符=48  (八分音符=144)

 第28変奏曲   四分音符=72


●第29変奏曲   四分音符=84


●第30変奏曲   四分音符=72


●Aria.                         四分音符=54



⑦こうして全体像を見てみると、第16変奏と第17変奏を中心点として、その両

 側に3つのシングル(ともにフェルマータを持ち連続性がない変奏曲13/

 14/15と18/19/20)、4つのグループ(テンポが明確に異なる4つのグ

 ループ9-10/11-12と21-22/23-24)がある。

 ここまでのバッハのプランは2-2-3-2-3-2-2、つまり


 2(9-10)-2(11-12)-3(13/14/15)

             -2(16-17)中心部

             -3(18/19/20)-2(21-22)-2(23-24) 


 と完全にシンメトリーとなっている。


⑧ ここから更に左右の外側に向かうと、左側には6-7-8という3つの変奏のグ

  ループ、右側には25-26という変奏のペアがある。どちらのユニットも「遅

  い-速い」進行を示し、第6変奏曲のゆったりとしたテンポは、第7変奏曲

  の "al tempo di Giga "で2倍速になる。これは第8変奏曲へと継続される。

  同様に、第25変奏曲の "adagio"は、2倍速にスピードアップして、第26変

  奏曲へ続く。

   なお、バッハが1975年修正版で、第26変奏曲に表情豊かなアポジャ

  トゥーラを加えたことは、第26変奏曲は最も速くてもテンポは中程度で、第

  25変奏曲より4分音符の速さで2倍速い程度であり、19世紀のエチュードの

  ように極端に速いプレステッシモのテンポではない。


⑨更に左右の外側に進むと、左の2-3-4-5の1ユニット4変奏群と、右の1ユ

 ニット27-28の2変奏群がある。この前⑧の "遅ー速"ユニットが ほぼ1:2 の

 テポ進行で構成されているのとは対照的に、この2つのユニットは8分音符

 と16分音符が終始等しいテンポ関係を示している。

  変奏曲2-3-4-5は一定の8 分音符の速さで統一される。(ただし、第2

 と第3変奏の速さについては次の項参照。)

  変奏曲27-28では、第28変奏曲のテンポが2倍速いかのような錯覚を与え

 る。しかし、この対の8分音符と16分音符の速さは変わらない。


⑩更に外側に進むと、2つのシングル(1と29、30)とアリアがある。もし第2

 変奏曲にフェルマータがついているとこのシンメトリーは完璧となる。最初

 のグループ内での第2・3変奏曲はテンポに関連性がない事から、従って 

 バッハはここだけフェルマータをつけ忘れたのに違いない。なぜなら、そう

 するとこのシンメトリーは完璧となるからだ。



 以上が10項目が、Cory Hallによるゴルトベルク変奏曲におけるフェルマータの意味の概略である。詳細を確かめたい方は、オリジナルの論文をお読みいただきたい。

 フェルマータの有無について、これをどう解釈するかは、いまだに決定打がない。新バッハ全集等のようにすべての変奏曲にフェルマータを追加するのも一つの解釈だが、もちろん、これが正しいとは断言できない。

 一方で、今回紹介したCory Hallの説はそれなりの説得力があるが、しかしながら、⑩で第2変奏曲にフェルマータがあれば完璧だったのだが、と述べているのは、結局このCory Hallの説も完璧ではないことを示唆している。

 ただし、第2変奏曲の末尾にはフェルマータがないと同時に飾り模様(artistic flourish )も付加されていない(譜例1参照)。これからCory Hallが、バッハがこの第2変奏曲にフェルマータをつけ忘れた可能性がある、と言っているのは、一理ありそうにも思える。

 なお、各変奏曲のテンポについては、すべてピアノで演奏することが前提となっており、チェンバロ等の時代楽器は考慮されていない。

【譜例1:第2変奏曲、飾り模様無し】


【譜例2:第4変奏曲、飾り模様あり】
 



 
 せっかくなので、次回はこのCory Hallの論文で記載された他のいくつかの説について簡単に整理しておこう。(この項続く)

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