はじめに
バッハ(1685-1750)の自筆譜は美しい事で有名だ。残念ながらゴルトベルク変奏曲の自筆譜は残っていない。しかし、幸いバッハはゴルドベルク変奏曲を1741年にクラヴィーア練習曲集第4巻として出版した。その出版譜が現存しており、我々はそれを一次資料として参照することができる。
現在入手できるゴルドベルク変奏曲のすべての楽譜は、この1741年出版譜に基づいている。そして、信頼できる原典版(注1)として「新バッハ全集(ベーレンライター原典版)」、「ウィーン原典版」、「ヘンレ版」の3種類(これら各種原典版の詳細については後述)が発行され、一般に数多く使用されている。
ところがこれらの各原典版は、原典版と称していながら、1741年出版譜とは多くの違いがある。その違いはどうして生じるのか、そしてそれは一体正しいのだろうか。それを探ってみるのが本稿の目的である。
注1 )原典版とは、作曲者の自筆譜か、それが現存していない場合は最古の筆写譜(ここでは1741年出版譜のこと)を元に印刷楽譜を作成し、一般に販売をする楽譜のことを言う。ただし様々な問題が含有されており、それは、「小林義武「バッハ」—伝承の謎を追う 春秋社」 に詳しい。
クラヴィーア練習曲集の出版について
1741年出版譜の背景を簡単に追ってみよう。バッハは1723年ケーテン宮廷の楽長からライプツィヒ市の音楽監督兼聖トーマス学校のカントールへ転職し、その生涯を閉じる1750年までここで活動をした。
ライプツィヒでの生活が落ち着いた1725年ごろからバッハは作曲家としての創作力を広く世に示すために、自作を出版する計画を立てた。
綿密な計画を立て、始めに、パルティータを1726年から30年にかけ個別に出版し、売れ行きと評判を確かめることにした。「ライプツィヒ新聞」に最初の予告が掲載されたのが1726年11月1日で、翌年27年には同じ新聞にパルティータ第2番と第3番が完成し、作曲者のもとだけではなく、他の5箇所でも購入できる旨書かれている(注2)。
注2)詳細は「バッハ資料集〜バッハ叢書第9巻 白水社 角倉一郎監修 P178」
当時、このような優れた音楽作品が出版されている例は極めて少なかったようで、おそらく結構な部数が売れたのであろう。バッハの営業努力は成功し、結果的に1731年、クラヴィーア練習曲集シリーズ第1巻として「6つのパルティータ集」を出版した。
最終的に4巻のクラヴィーア練習曲集シリーズとして、以後1735年に第2巻「フランス風序曲とイタリア協奏曲」、39年に第3巻「オルガンのための前奏曲とフーガ及びコラール編曲集」、そして41年に第4巻「ゴルトベルク変奏曲」が出版された。
そのシリーズ名の由来と音楽的内容についてはすでに多くが語られているので、ここでは繰り返さない。ただし、この各シリーズの表紙すべてに「愛好家の心を慰めるために」と記載されているのは注目点だ。
バッハは他に名作「インヴェンションとシンフォニア」と「平均律クラヴィーア曲集第1巻」を、1730年以前にすでに作曲している。両者とも美しい自筆譜が残されているが、これらを出版する計画は持っていなかったようだ。
ただし、「平均律クラヴィーア曲集第2巻」は1742年に完成している。作風が第1巻とは大きく異なり、柔軟で当世風かつ流麗であるため、「愛好者の心を慰める」ために、ひょっとして出版する意思があったのかもしれない。だが、かなりの長編作品(単純に「ゴルドベルク変奏曲」の倍近くのページ数)でもあったので、さすがに資金的な問題で諦めた可能性は否定できない。
「インヴェンションとシンフォニア」と「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は、バッハが教育用教材として使用しており、この時点ですでに筆写譜を通じて幅広く人口に膾炙していたとも言え、出版の必要性を感じなかったのかもしれない。
しかし、一方で、バッハがこれら教育用教材と音楽愛好者用のクラヴィーア練習曲集シリーズの作品とを明確に区分していた可能性もある。例えば、「ゴルドベルク変奏曲」が個人で楽しむための作品、あるいは演奏会用ピースとすれば、「平均律曲集」は教育用、つまりレッスン用の教材だったとも言える。これらの違いを探ってみるのも面白いテーマの一つである。
さて、この一連のクラヴィーア練習曲集シリーズの発行部数は当時としてはかなりの数だったらしい。少なくとも100部刷ることで、利潤が上がるようにしていたそうだ。すでに述べたように、バッハはドイツ各地に楽譜販売のネットワークを持っており、それらを通じて、かなり高価で販売されたらしい。なかなかやり手の実業家でもあったようだ。
楽譜は再販され、第1巻は第3刷まで、第2巻は第2刷まで刷られたようだ。第3巻と第4巻は1回しか刷られなかった(注3)。
注3)クリストフ・ヴォルフ/秋元里予訳「ヨハン・セバスチャン・バッハ」春秋社P588-590
ゴルドベルク変奏曲出版譜〜シュミート版について
さて、ゴルドベルク変奏曲の楽譜出版事業は、ニュルンベルクのバルタザル•シュミートBalthasar Schmid(1705〜49)が彫師(銅板に楽譜を彫る、いわゆる印刷用原盤を彫る役割)兼出版者だった。この彫版の際に手本とした原本、すなわちバッハの自筆譜も、この印刷彫版の原本も残されていない。したがって、現在信頼すべき最もバッハの意向が反映されたテキストはシュミートが彫師のこの印刷された楽譜だけである。
なお、シュミートは1726年から発売されたパルティータの第1番、第2番の彫師も担当している(これらと1731年版は基本的に同じ版下を使用している)。当時ライプツィヒ大学の学生だったらしい。
ウィーン原典版の注解(後述)によると、このシュミート版は現在まで19冊の現存が確認されており、それぞれが図書館等で保管されている(2013年にイギリスの有名なザザビーズのオークションに、個人蔵のこのシュミート版が出品された。従って現在、公に確認できる現存数は20冊だ)。
1975年発見のバッハ自身の修正加筆入りシュミート版について
1975年、バッハ自身が修正加筆して訂正を加えたシュミート版がストラスブールで発見された。しかも巻末にゴルトベルク変奏曲の低音主題による14のカノンが書き加えられており、一躍注目を浴びた。これは真正であることが確認され、以来この修正譜がオリジナル資料として最重要視されるようになった。
修正加筆による訂正はバッハの自筆で、赤で記載されている。例えば、第23変奏の23小節目を見てみよう。
譜例1 |
譜例2 |
旧バッハ全集版 |
当然 1975年以前の一般販売用印刷譜は譜例1に従っている。これは旧バッハ全集。
新バッハ全集版 |
1975年以後校訂された版はバッハ
の訂正が反映された譜例2に従って
いる。
これは新バッハ全集。
Fuzea社版 |
があったFuzea社から出版された
1975年修正入シュミート版は残念
ながら、謎の・が付けられている
だけで正確に反映されていない。
この一例だけ取り上げても、幾つかの相違点がある。ということで、版の違いによって生じるゴルドベルク変奏曲の様々に変容する姿を、落ち穂拾いをするように探って行くのが本稿のテーマである。
比較検討する楽譜について
今回取り上げるのは、この修正版と現在発刊されている各種原典版等4種類である。
(1)1975年発見のバッハ自筆の修正加筆入りシュミート版。
(以下、1975修正版と言う)
この1975修正版は、現在、パリの国立図書館に保管されており、インターネット上で全て見ることができる。1990年にFuzea社からファクシミリ版で出版された。現在は絶版となっているが、手元にお持ちの方も多いだろう。ただし、このFuzea社1975修正版は、例で示したように、残念ながらバッハの修正が全て反映されていない。これについては後ほど述べる。
この修正が反映された版は当然のことながら、1975年以降に発行されている。現在のところ原典版として発刊されているのは下記の3種類である。
(2)新バッハ全集版(Bärenreiter 5162)
この1975修正版を最初に適用した版が新バッハ全集。1977年、クリストフ・ヴォルフの校訂による。おそらくバッハの修正加筆譜について報告されているだろう校訂報告書は別巻で発行されており、これは残念ながら未読だが、その代わりに、この修正版をテーマにしたヴォルフの論文、The Handexemplar of the Goldberg Variationsが彼の著作集(注4)に掲載されており、それを参照することができる。
注4) Christoph Wolff. 「Bach:Essays on His Life and Music. Cambridge, 1991」
なお、この新バッハ全集版は、1977年発行版には原典版Urtextとは記載されていない。手元にある2015年の第12版では原典版と記載されており、1977年以降再版されたどこかの段階で原典版と記載されたのであろう。
現在、この楽譜の序文の翻訳版が2種類出版されている。高橋悠治訳による全音楽譜出版社版とベーレンライター社出版譜に中村洋子による翻訳と注釈を加えた別刷冊子を加えたもの(アカデミア・ミュージック株式会社より出版)。
(3)ウィーン原典版(UT 50159)
このウィーン原典版は新バッハ全集にもとづく、と明確に記載されている。同じくクリストフ・ヴォルフの校訂で発刊されており、楽譜はページ割り含め、新バッハ全集と全く同じである。しかし、ウィーン原典版は,巻末に校訂報告書が添付されているため、1975修正版をどのように反映させているかが、ほぼ全てわかる。日本語翻訳版が発行されているので(音楽之友社、1998年初版)、とても便利だ。
(4)ヘンレ版(159)
その他に原典版では、ヘンレ版が1978年に発刊されている。これは1973年にRudolf Steglichによる校訂譜だが、Steglichは1976年に他界したため、1975修正版による変更を追加出来なかった。
しかし、Paul Badura-Skoda が1975修正版を詳細に検討して、その成果をSteglichの版に反映させている。これは前書きで、Paul Badura-Skodaが、バッハの手書きの修正箇所がどこかを簡潔に記載しており、簡単に校訂報告書を読むことができるようになっている。
(5)訂正の入らないオリジナルのシュミート版
さて、以上に加えて、バッハ訂正入り1975修正版ではなく、訂正の入らないオリジナルの出版当時のシュミート版を参考にする必要が当然ある。これはウィーンのオーストリア国立図書館所蔵のがインターネット上で公開されている(Bach degital HP)ので、それを参照することができる。
以上のように、参考とする原典版はすべて20世紀後半に出版されたもので、以後新版は出版されていない。さて、それでは、同じ資料を元に原典版を編集しているにもかかわらず、生じる差異は何処にあるのか。またオリジナルのシュミート版にバッハがどのような修正を加えたのか。ヴォルフの論文、The Handexemplar of the Goldberg Variationsを参考にしながら探っていくことにしよう。(この項続く)
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